心に響く音楽を教えてもらった
いい音楽とは、皆で音を聴き合って一つの音を作り出す作業だということを、十中で教わった。音楽って、どんなにわかっていても、どんなに上手くても、その人達が集まっていい音楽ができるという、そういうものではない。理論やテクニックだけではなく、プラスアルファの何かがあって一つになった時、いい音楽が生まれるのだと思う。素晴らしいミュージシャンが集まった演奏より、豊島吹奏楽団(十中OBが多く参加したアマチュア吹奏楽団)の心温まる演奏に感動する場合もある。僕らの世界ではグルーブと言うが、ノリとか皆の気持ちが一つになって、それがバラバラではない一つの音になって、聞き手に訴えかけることが、最も大切なことだと思う。個人のテクニックやネームバリューとは関係なく、なんでも、良ければ良いんですよ。料理にしても有名料理人の作った料理より、時にはチェーン店の餃子のほうが美味しく感じることもあったりする。そういうことだと思う。人の心に響く音楽をやりたい、それを教えてくれたのが酒井先生だった。
酒井先生は音楽の王道を教えてくれた。今になってなるほどと思うことがたくさんある。僕らの頃は、創設まもない模索の時期とは違って、酒井先生の指導法が確立していて、先生も色々なことがわかっていたように思う。だから細かいことは言わなかった。酒井先生と八田先生のバランスがすごく良い時代で、リズム・音程・アレンジとかは八田先生に任せ、酒井先生は本質的なことを教えてくれた。それは、アンサンブルの重要さや、皆で一つの音を出すことで、よく合奏の前にハーモニィーの練習をしたのは、皆で同じところに向かっていく方法だったのだ。忘れがちだが、皆で一つの音を作り上げるというのは、プロで演奏をする上でも、基本中の基本だ。
音楽全てが面白くなった
武蔵野音楽高校に入学したのも、武蔵野音大を出た酒井先生の勧めだった。その頃は、酒井先生のような吹奏楽の先生になるつもりで、入試の面接でも将来は吹奏楽の先生になりたいと言った。そのうちに、色々な音楽が面白くなり、クラシックも、オーケストラも、ソロも、ジャズも、ジャズの中でもモダンジャズ、デキシーランドジャズ、ロックっぽいファンキージャズとか、映画音楽も、全部面白くなった。自分で譜面のアレンジを始めて、高校1年か2年で、スターウォーズとかを金管アンサンブルやビッグバンドにアレンジしていた。好きだったんだろうね。武蔵野音大ではクラシックも真剣に勉強して、何十人もいる学生の中から選ばれて演奏旅行に行った。でも、やっぱり、最後のポップスの演奏になると前に出てソロを吹かされていた。クラシックも相当勉強した。奏法が全然違うので、今はあんまり吹けないけどね。
酒井先生も、武蔵野音大時代には、映画音楽のレコーディングに参加したり、ビッグバンドやジャズバンドも大好きで、色々な音楽が大好きだった思う。そして、吹奏楽はこうでなくてはいけないとかクラシックはこうでなくてはいけないと決めつけず、いいものはいいという自由な考えだった。だから十中の楽器編成もチャレンジしていたよね。酒井先生は、楽器の上達を目指すだけでなく、色々な音楽が大好きで、色々なことに興味が持てる人だということが、何となくわかっていた。いつのまにか自分もそうなっていたので、そこが酒井先生から一番影響を受けたところかもしれない。
プロになれたのは
中学の時は、楽しかった。3年になってもセカンドトランペットで、1〜2年の時には音が全然出なくなった時さえあったが、練習が辛かったという思い出はない。トランペットのデュエットをするのも、ハーモニィーを吹くことも楽しかった。記憶では、コンクール前以外は水曜日と土曜日が合奏練習で、あとはパート練習だった。同年代の全国大会に出ていた他の中学の卒業生に会うと、毎日合奏で遅くまで相当辛い練習をしていたと聞く。自分が知っているのは、ドラムの村上”ポンタ”秀一さんが今津中学でホルンを吹いていて途中で打楽器に変わった人がいた。十中のOBにもプロになった人がたくさんいるよね。
プロに必要なのは、同時にたくさんのことを考えながら演奏できることだと思う。今日のような演奏でも、音程、リズム、音色、強弱、フィーリング、ノリ等を一度に考えなければならない。自分はそれをいつのまにか習得していた。十中で習得した気がする。酒井先生は、ただ音程だけ合わせなさい、リズムだけ合わせなさいとは言わなかった。何も言われなくても、考えて演奏しなければいけないという空気があった。酒井先生にはそういうカリスマ性があった。
プロを目指す人へのアドバイスは、5個6個のことを同時に考えながら練習出来る人がプロになれるということ。ロングトーンやタンギングの練習でも頭を使って考えることはたくさんある。練習したら、同じ時間休んだほうが良い。昔は血の滲むような練習が普通だったが、無駄な練習を長くするより、休みながらリラックスしたほうが充実した練習が出来る。
自分も今になって基礎的な練習、ロングトーンとかタンギングの練習を始めた。若い時は勢いで音が出ていた。が、荒い演奏だったとは思う。経験を積んで色々なことがわかって来て、繊細な演奏を求めるようになった。いざ微妙なニュアンスを出したい時に失敗しないように、初心に帰って基本的な練習をしている。音楽に限らずどんなことでも、全体が見えてくると、こうしたらどうなると先に考えてから行動するようになる。そんなことを、最近、すごく感じるようになった。
好きな楽器が吹けて、それでお金を貰えて、いいのかな。思うように吹けず、辛いこともいっぱいあるけどね。
酒井先生にお礼を言いたかった
酒井先生は音楽だけでなく、音楽を通して人生哲学を教えてくれた。集中力と、何に集中するかを教えてくれた。上の世代の人には色々なことを言ったのかもしれないが、だんだん変わったのだろうか、僕らの時代には、口うるさくなく、要点しか言わなかった。「今が正念場だ」「この演奏じゃ出来ない」などと言われ、あとは自分で考えさせられた。自分で考えるように導く何かを酒井先生は持っていたと思う。この考える力が、今の自分を支えてくれている。
高校1年の頃に同期のメンバーと組んだビッグバンドのテープを、十中に持って行って酒井先生に聞かせたことがある。個人的な細かいことは言われたことが無かったが、その時は「ジャズが向いているな。史郎、お前そういう世界に行くよ」と言われた。無駄なことは言わず的確なことだけを言う人だった。そう、セントルイスブルースをすごいビブラートで吹いていて「ビブラートをかけ過ぎだよ、でも向いているな」と言われたことも覚えている。本当に的確なことを言う人だった。先生に言われて、あの時、自分でもジャズの世界に行くような気がした。今、ジャズの世界にいられるのは、酒井先生の一言が背中を押してくれたのだと思う。
先生にお礼を言いたかったが、喜寿の会は仕事で間に合わず、その後もお会いすることができなかった。「今があるのは酒井先生のおかげです」と直接会って伝えられなかったのが、悔やんでも悔やみきれない。亡くなったと知ったときは、まさかと言うしかなかった。機会があったら、長崎に行って、手を合わせたいですね。 |