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紀元前5〜6世紀に活躍した「ピタゴラスの定理」で有名な、古代ギリシャの数学者・哲学者/ピタゴラスが考えた音階「ピタゴラス音階」が、今日使われている音階(平均律)の根元であり、そこから色々と派生した結果、今日ではバッハ以降、「12平均律」が採用されている。
例えば「ピタゴラス音階」において、その最も有意義な点は「正確な5度音程」、つまり「純正な響きの5度」を実現出来た事だが、その一方で和声の基本でもある「3度」の音程が濁る、つまり純正な響きが実現出来なかったという欠点もある。その後、様々な実験と時代背景の移り変わりと共に、バロック音楽の完成者であるバッハが、当時主流だった「中間全音階」を捨てて「12平均律」を採用した結果、今日に受け継がれている。勿論、我々吹奏楽の経験者が体験として知っている「ハーモニー」の演奏に際には、純正律での演奏が求められるのだが。
つまりは、「十中サウンドの秘密」というのも、こういった歴史の流れの上に成り立った『極めて合理的な音響学上の計算で成り立っていた』訳である。
私がこの事に気付いたのは、高校に進学して偶然に書店で購入した「正しい音階」(溝部国光/日本楽譜出版社)を読んだ結果である。当時、豊島区吹奏楽団に所属していた自分は早速、今は亡き八田先生にその事を尋ねると、「その通り。良く気が付いたね」という答えであった。勿論、中学生には難しい本だが、大学生以上なら理解出来る内容なので(当時、数学の苦手な自分にとっては極めて難しい本であったが…)、興味のある方はご自身で読まれる事をお勧めする。
さて、前置きが長くなってしまったが、日本の吹奏楽の歴史の中での十中の功績(という言い方が許されるならば)、更には酒井先生が我々に与えたものについて、少し書いてみたいと思う。
我々18期の人間が十中に入学する以前に、既に十中ブラスの名は全国に轟いていた。
その十中のお膝元でもあった、千早小学校や千川小学校といった小学校でも吹奏楽活動を行う程に地域や教育機関への影響は大きかった。18期で言えば、既に十中入学以前に千早小学校と千川小学校に分かれて、当時盛んだった「TBS子供音楽コンクール」において既に戦いが行われていた。ところが、いざ十中に入学すると、余りにもその練習の厳しさのみが伝わっていた為、吹奏楽の経験者全員が誰も入部を希望しないという異常事態となり、全員が音楽準備室に呼ばれて、「君達は折角これまで素晴らしい音楽活動をして来たのに、それを続けないのは勿体ない」と説得されたのは、今でもよく覚えている。
その練習はといえば、時にはほんの数小節間を数時間に渡って厳しく音程のチェックが行われるのだが、この時の「絶対に正確な音程での演奏」という基本精神がプロとなった現在でも生かされ、当時の経験にお礼を言いたい気持ちで一杯である。また、時には厳しく怒鳴られ「それが音楽のつもりか、馬鹿野郎!」と、1年前まではトロンボーンを吹いていたところが、3年になって「最高学年にサックスが誰も居ないから」との理由からサックスに回され「1年から同じ楽器を続けて来た訳じゃなく、この前サックスに移ったばかりなのに…」と半分は泣きながら、当時の課題曲にサックスのソロがあり「それなら絶対に文句を言わせない演奏をしてやる!」と必死の思いで食らい付いたのも、今では懐かしい思い出である。酒井先生は、相手が中学生だろうがお構いなしに、「そのパートを受け持つ人間」として容赦なく厳しい要求を出される方だった。
また、日常の生活の中で「団体行動訓練」と称して放課後に全校生徒が遊びくつろぐ中を、ブラスの生徒全員で「どんな状況の中でも冷静に団体行動で協力出来る力を養う為」として清掃活動をやらされる事もあった。勿論、その言葉通りの意義を考えての行動ではあったろうが、しかし部費やその他、何かと目立つ事の多いブラスとしては、少しでも全校生徒や教職員達からの反発を抑えたい思いも、或いはあったのでは?と、今になって思ったりもして、先生のご苦労が伺われる。
十中ブラスの特色として(或いは昔からそうだったのかもしれないが)我々18期が入学した頃には、様々な練習方法などが完全にシステム化されていて、例え先生が不在であっても練習が問題なく進行出来るようになっていたが、これは実に驚くべき事である。一例を言えば、新入生や下級生に対しては完全にマンツーマンで教える体制となっており、自分がサックスを教えて頂いた17期の大口さんは、何と国立音大においても先輩としてお世話になったのは、単なる偶然だろうか(笑)? 更には十中を卒業した年度の人間が、その年のコンクールに参加しない下級生の合奏の面倒を見る…etc.

勿論、ブラスの指導には酒井先生だけでなく、八田先生やOBの近藤さんなども毎度お世話になったものだ。つまりは十中の『豊島の響き』とは、人間・酒井正幸に魅せられた人達の集団によって支えられ、作られて来たのである。酒井先生の指導の基の一つである、「最後までやり抜く意志力」というものは、プロとなって自らのスタンスを決め、例え誰も見向きもしないジャンル(自分の専門は「現代音楽」である)であろうと、決して挫ける事なくチャレンジし続ける事が出来るのは、十中ブラスの中で培われた不屈の闘志によるものと感謝している。また、音楽家としては当然の事なのだが、「正確な音程による演奏」も、そのお陰の一つであろう。更には、酒井先生、八田先生という、全く違ったアプローチでの練習の積み重ねで具現化出来る、偏りや嫌みの無い均整の取れた演奏、というもの。言い換えれば「正しい解釈とスタイルによる演奏」も、プロとなった自分には大いに生かされていると自負している。そして又、十中の伝統として「ロングトーン」の練習が挙げられると思うが、その結果得られる個々の或いは合奏の際のサウンドの美しさは計り知れない。自分もフランス国立ボルドー音楽院の1年目に「初見演奏」の修了試験があり、その際に「音色の美しさ」によって(自分で言うのは恐縮だが)、大いに救われた出来事があった。
そしてまた、諸先輩方の中から多くのプロを輩出していた事も十中ブラスの特色の一つだろう。何を隠そう自分が「プロになろう」と決めたのは、北海道の招待演奏でお世話になった近藤さんや江川さんの影響もだが、それ以上に当時の準備室に置いてあったバンドジャーナルの巻頭部に「プロの紹介」としてインタビューを受けていた5期・笠松さんの姿を見て「格好いい」と思い、その結果「自分も将来は楽器1本だけで世界中を飛び回れる男になりたい!」と決意した次第である。全く面識もない雲の上の大先輩だった方と、近年オーケストラで一緒に演奏出来る機会を持てた事は、何より幸せである。
また、酒井先生の人間的側面を見た時に、面白いのは徹底したフェミニズムの精神であろう。誰もが経験した筈だが十中の学生時代、地域というか方向ごとに女子(当時は、こう呼んでいた)を男子が送る事もブラス生徒の日課であった。しかしこの「フェミニズムの精神」、うっかり我々俗物が応用しようものなら、たちまちにして反発を買うばかりである。やはりこれは人間、或いは男・酒井正幸の魅力があって初めて成り立つものなのかもしれない。その所為か、その精神にも完全に感化されてしまった自分は、未だに独り身である…(苦笑)。
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