豊島十中吹奏楽部は、酒井正幸先生によって昭和34年4月に創設されました。新しく始まろうとしている吹奏楽部にも拘わらず、極めてユニークな入部試験がありました。音楽とは全く無縁の50メートル競争、腕回しの運動能力等を試すものでした。その後の部活動は、正月休みを除く殆ど毎日、平日は夜遅くまで練習に明け暮れる日々でした。
創部3年目の昭和36年に全国大会に出場するという目標は、東京都大会で2位に甘んじ、その夢は果たせませんでした。しかし先生は後に、それがむしろ幸運であったと語っています。2位になったが故に、当時世界トップクラスのフランスのギャルド・レピュブリケーヌが来日した時の歓迎演奏会に出演することができ、全国大会に行き損ねた自由曲「レイモン序曲」という「フランスもの」を演奏しましたが、ギャルド・レピュブリケーヌ楽団員からは足を踏み鳴らして「ブラボー」の連呼で賞賛され、大きな話題にもなり、豊島十中ここにありを示せたからでもありましょう。
それ以上に、酒井先生はこの時こそ、先生自らが進むべき吹奏楽の方向、目標を確信出来たからではないかと感じます。
創部当初から、酒井先生の、ロングトーン、チューニング、ハーモニーの指導は厳しいものでした。初めて楽器に触る生徒も多い中で基本を鍛えることは当然のこととも言えますが、それ以上に当初から先生には、従前の軍楽隊調の吹奏楽にはもの足らず、音楽性豊かな吹奏楽を目指す目標があったように思われます。その「想い」こそが「ギャルド」に自らが目指すサウンドを見出し、そのギャルドの音楽性豊かなサウンドは、チューニング、奏法、楽器編成にあると喝破したことが、その後の先生の活動の拠り所となったと感じます。
先生の指導の下に豊島十中は、東京都吹奏楽コンクール17年連続第1位(金賞)、全日本吹奏楽コンクール18年連続出場、全日本吹奏楽コンクール10年連続金賞(昭和50年の特別演奏を含む)を獲得するなどの輝かしい実績を挙げ、「十中サウンド」、「豊島の響」と賞賛されるに至りました。
これは先生がチューニング、奏法において厳しい指導と実践をされたのみならず、従前は吹奏楽には不適当とされた楽器を取り入れた新しい楽器編成によるサウンドの取組みや、我が国吹奏楽界ではなじみの薄かった近代音楽、現代音楽等の新しいジャンルの曲目を取り入れて、新しいサウンドに挑戦し、そして見事結実させた結果と思います。
そして正にこのことが、上記のコンクールの結果を残したのみならず、我が国の吹奏楽の新しいサウンドのパイオニアの役割を果たし、我が国吹奏楽を現在の世界トップレベルに引き上げた原動力となったと言えます。
私達豊島十中吹奏楽部OBは、酒井先生という素晴らしい師にめぐり会え、吹奏楽部で指導を受けたことに喜びを感ずると共に、誇りに感じます。
先生の音楽を通じた「情熱」、目標に向け強靭な「意欲」と「実行力」、厳しい指導の反面、個々の生徒へのきめ細やかな「心配り」は、今も我々教え子の心に焼きつき、生き続けています。
平成16年3月豊島第十中学校は近隣校と統合され廃校になり、「明豊中」に生まれ変わりました。酒井先生が喜寿を迎えるに当たり、私達先生の指導を受けた教え子達が、先生の偉業を称えると共に先生との思い出を残す記録を作りたいと、昨年(平成17年)年初にOB会を立ち上げて、一年余をかけて「豊島の響」シリーズとして、記念誌、DVD、CDを制作しました。300人の教え子達が、手作りでかつボランティア精神で作り上げ、先般、発行に至りました。
また、昨年11月26日には、東京皇居前パレスホテルにて200人を越える教え子達が集い、「酒井正幸先生の喜寿を祝う会」を開催しました。
記念誌、DVD、CDに収めきれなかったOBの思い出を綴った原稿や、この一年余の活動の中で見出された、貴重な写真、資料、音源、映像等々が残されています。
また昨年11月には、酒井先生が豊島十中に残された数多くの十中サウンドの音源(テープ、レコード、ソノシート等)、映像(VTRテープ、8ミリフィルム等)、楽譜等々が、明豊中にて発見されました。この発見されたものを、我々は「宝物」として「文化財」と呼んでいますが、今この「文化財」を保存しようと、分類、保管作業を進めています。
こうした状況の中でWeb版「豊島の響」を開設しましたが、十中サウンドに纏わる数多くの資料を紹介するのみならず、かつて「豊島の響」に集った仲間や、「豊島の響」に関心を持っておられる方々との交流の場として活用して行きたいと考えています。
今後ますますコンテンツを充実させて行きたいと思いますので、どうぞご期待ください。
平成18年3月 「豊島の響」豊島十中吹奏楽部OB会